今日は月1ペースの、弁当が美味しい出張。
こんなお弁当が出ます。

年配のおっさんが多いので、あっさり目のヘルシー弁当が出る。
メタボ中の私には若干物足りない感じ。
17時過ぎまでたっぷり座りっぱなしの話しっぱなし。
17時過ぎに終わるとは泳昼休みも30分程度と短いので、結構疲れる。
帰り道、ちょっと都会の風景を撮影。
I took some photographs of street scenes on the way home.
近頃、残業時間によく“アクティリンク”って会社から電話がかかってくる。
よくある勧誘電話の一種。
俺「どちらにおかけですか?」
ア「お電話に出られた方にご案内いたしております」
俺「じゃあ間に合ってますんで、結構です」このあとアクティリンクが
ア「*☆※・・・」と、何かを続けて話し始めるのだけど、そんなのお構いなく電話を切る。
こういう輩は相手に間を与えないように話を連ねてくるので、どこかで強制シャットダウンしないといつまでたっても終わらないからね。
ちょっと調べてみたところ、やはり色んなところで被害者がいる模様。
こことか。特に
ここのやりとりが臨場感溢れてます。
今は間に合ってます
enough for now
うちの部で担当している教育がある。
10回ちょいの教育を3ヶ月にわたってやるんだけど、欠席回数にも制限を設けていたりする。
とはいえ実際はあまりにひどい理由じゃない限り、欠席回数が多くても救済措置を取るのだが、中国の長期出張によりやむなく3回連続欠席した人が、気を使ってお土産を買ってきてくれた。
チョコレート。

しかもパンダ型。
熊猫=ションマオ って言います、たしか。
で、肝心の味ですが・・・。
中国のチョコレートって、こんな味すんのね・・・とりあえず教育講師を持ち回りで担当している3人で一個ずつ食べたのだけど、
一人一個以上はちょっと・・・、っていう味。残りはどう処分しようか、困り中。
処分に困る。
This chocorate is difficult to handle...
27時間テレビがちょろちょろとYOUTUBEにもアップされている様子。
リアルタイムで見て、
ビギンの歌にジーンと来たフィナーレ部分も落ちてた。
ジーンとさせた後、放送終了間際の展開も最高でした。
いやぁ〜、しかし
いい歌ですなぁ。
いい歌詞ですなぁ。
まさに
明石家さんまの為の歌です。
That was that が、さんまちゃんがよく言う
「あん時は、あん時じゃ〜い!」の事だというのがこれまた最高です。
日本に生まれてよかったぁーーー!と思います、マジで。
『 笑顔のまんま 』 作詞・作曲 BEGIN
辛い時でも 笑ってられる
そんなアンタは ホンマにアホや
先の事など 考えないまま
ペース配分さえ 出来ないで走る
悲しい時こそ おどけてばかり
そんなアンタは やっぱりアホや
惚れてフラれて また繰り返す
学ばないまま 明日を迎える
だけどそんなあんたを あんたを見てると
なぜかやさしい風が 吹き抜けていく
湿った心は 笑いで乾く
☆
笑顔のまんま 笑顔のまんま
そうさ人生 生きてるだけでまるもうけ Oh
笑顔のまんま 笑顔のまんま
そうさ That was that
あの時は あの時さ
(☆繰り返し)
僕が笑いを キミにあげるから
キミの笑顔を 僕にください・・・
笑顔のままで
without losing your smilewith keeping your smile とか keep your smile とか他にも言い方があるような気はするが・・・。
忙しい。
近頃そこそこ忙しい。
9月なんてイベント盛りだくさんなので、久々に残業40時間突破しちゃいそう。
あ、でも、今日は申し込んでた
さかなクンの講演会がある日だった・・・。
ということで仕事を片付けたい心を抱えたまま行ってきました。

さかなクン、同い年みたいなんだけど、2時間半ずーっとあのテンションで喋って飛び跳ねて・・・すごかったです。
さかなクン:本名 宮沢正之(みやざわ まさゆき)1975年8月6日生まれ
今月は残業40時間こえるかも。
I might do more than 40 hours overtime, this month.
タモリの弔辞は白紙だったらしい!
すげーなおい!
だとすると気になるのは準備してたのかどうか?
あらかじめ原稿を作ってそれを覚えておいたのか、なんとなく言いたいことはまとまっていて現場で言葉にしたのか。
おそらく後者なんだろうなぁ・・・と想像。
◆タモリ弔辞全文◆
弔辞
8月2日にあなたの訃報に接しました。
6年間の長きにわたる闘病生活の中で、
ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。
われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。
あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、
私たち世代に強烈に受け入れられました。
10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。
何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、
歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、
あなたは突然私の眼前に現れました。
その時のことは今でもはっきり覚えています。
赤塚不二夫が来た。
あれが赤塚不二夫だ。
私を見ている。
この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。
終わって私のところにやってきたあなたは、
「君は面白い。お笑いの世界に入れ。
8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。
それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、
こう言いました。
自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、
この人はこの場でしたのです。
それにも度肝を抜かれました。
それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」
というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、
いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。
いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。
他のこともいろいろとあなたに学びました。
あなたが私に言ってくれたことは、
いまだに私にとって金言として心の中に残っています。
そして仕事に生かしております。
赤塚先生は本当に優しい方です。
シャイな方です。麻雀をする時も、
相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、
ツモでしかあがりませんでした。
あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。
その裏には強烈な反骨精神もありました。
あなたはすべての人を快く受け入れました。
そのためにだまされたことも数々あります。
金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。
しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、
そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、
はるか年下の弟のようでもありました。
あなたは生活すべてがギャグでした。
たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、
大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、
出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、
「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。
あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。
あなたの考えはすべての出来事、
存在をあるがままに前向きに肯定し受け入れることです。
それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、
また、時間は前後関係を断ち放たれて、
その時、その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。
すなわち、「これでいいのだ」と。
今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。
軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。
どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりの
すばらしい時間でした。
最後になったのが京都五山の送り火です。
あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、
一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、
ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。
そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と
言ってるに違いありません。
あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。
私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。
それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、
お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。
あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。
しかし、今、お礼を言わさせていただきます。
赤塚先生、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
私もあなたの数多くの作品の1つです。
合掌。
平成20年8月7日、森田一義
大変お世話になりました。
I feel I owe you a great deal.
影腹や背中辺りを虫に食われた。
これは・・・まちがいなくダニである。
2年前にもこんな目に合った。
夏場はベッドに直接寝てるとスッゲー寝汗かくのでござ敷いて寝るんだけど、そのござがダニの媒体となるようで。。。
お世話になりますダニアース。
I owe a lot to you DANI Earth.